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2010年8月18日水曜日

時代における望まれる要件とは

 時代が蒸気機関車であった頃、スピードは重要な要素であった。もっと早く、もっと効率的に、もっと実用的に、具現化する必要があり猪突猛進する目標があった。また、これらが時間と共に達成されると、その利便性の恩恵は計り知れない効果を生み出した。時間の倹約もそのひとつである。

 しかし、人間の体力、気力、能力はそれほど進化も進展もしていない。自転車のスピードをどんどん加速していくと、漕いでいるペダルが空転する。自転車は加速しているのに、足下が追いつかないあの不安感。今の時代に起きている事態はこういうことなのではないかと思うことがある。であれば、やみくもにスピードを上げていけば、暴走自転車をさらに危険な状態に追い込むことになるのではないだろうか。
 
 もしこれが、組織に置き換えると、弱いところから軋みが始まる。ナイーブな人から精神的に追い詰められる。だとすると、弱い人を強い人に訓練したり、入れ替えれば良いということでは、根本的な問題は解決できないのではないだろうか。人が自信の力でつくり出すことができないスピードで自転車を走らせることは操縦不能になり、大きな事故を自ら引き起こしているようなものだ。

 最近は、自転車が見直され以前よりも一般道で見受けられるが、ほとんどの自転車が信号無視をして危ない乗り方をしている輩も多く見られる。自転車もハイテクの塊で、安価なオートバイを数台買える高価なモノもある。以前よりも、圧倒的にスピードが出せる乗り物に進化している。が、時間の短縮やスピードを求めて、進化と共に、以前よりも危険な乗り物なっている。問題は、自転車に乗るその意識である。

 どんなにツールが進化しても、使う意識を鍛えないと無意識に危ない状況に追い込むだけである。昔の武士は、技術の鍛錬と共に精神の力も鍛えた。現代でもプロスポーツ競技などでも、インナーワークなど含め内面を鍛えることが注目をされている。このように、外面的な進化を支えられるような内面的な土台を構築しないとバランスを失うことになる。

 自分の体型にあった洋服を着るように、「等身大」の判断、能力の発揮がキチンとされていれば心身共に安定をする。やみくもにスピードを追求することは危険だ。自分が加速されてている状態を実感しながら、「等身大」をキーワードに、進化進展を追い求めることが大切だ。これが逆転すると、重大な事故に自ら向かって行くようなものではないだろうか。

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