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2010年8月2日月曜日

現代の情報化社会とは

 現代社会では、情報と人々の活動が密接に結びついている。言わずもがな、これはITの飛躍的な進化によるところが大きい。そこで、人々のライフスタイルが変化し、ビジネスの価値や要件定義が大きく変わってきている。しかし、人間そのものが新たな情報化社会に適応しているのかということには、様々な意見がある。1980年代のマルチメディアとは何かという議論の際にも、人間性との共存は叫ばれていたので、人間と文明の関わり合いは21世紀に入りに始まったというわけではない。

 文明の発達による便利さとは、人間側のアプローチも要求される。例えば、自動券売機の前で、地方から東京へ行こうとしているおばあさんは、途方に暮れてしまう。これまでは、「東京まで切符を1枚ください」と言えば、ていねいに駅員さんが教えてくれる上に、注意事項や道中を気遣ってくれた。ここでは、自動券売機を自由に扱うことが出来なければ、無用の長物となってしまうのだ。自動化や機械化は、費用削減や効率性から導入されることが多いが、受益者へ新たなアクションを強いる。この点の修正が、これからの社会の重要な点である。

 加速度的な文明の発展は、20世紀と21世紀では明らかに違いが出来てきているのではないだろうか。物づくりが、それを活用する人たちを追い越して、さらに人間性を置き去りにしてしまったのではないだろうか。この100年間で、文明は大きな進化を遂げ、空を自由に飛ぶことはもちろん、月へも人を運んでしまった。この科学のパワーで、人間はより幸せに一歩近づけると確信をしていた。ところが、この科学文明は、人間性の迫害と同時に、内面的な成長を求めていたのだ。これに対する様々な警鐘はあったが、具体的な手立ては講じられることなく、表面的な成果を享受してきた。しかし、これには大きな代償があることに気づき始めたのは、21世紀も少し経ってからである。人々は、結びつきを求め合う動物であり、社会的な結びつきを何らかのカタチで求め合っている。食べ物の例えると、天然のうまみ成分を排除し、化学調味料のグルタミン酸でおいしさを人工的にすり替えられているようなもので、もう一度、人間本来の姿を見つめ直したあらゆる社会活動を見直す必要があると思われる。

 その際、情報についても同様で、形骸的なことだけでなく、その発信者の見えにくい旨み成分をしっかりと受け取らないと、その本当のおししさや味を賞味することはできない。効率化の落とし穴に気をつけて、蓋をしないと活動そのもの意義が低減するばかりか人を陥れる害となりうることがある。ビジネス活動における「成果主義」がまさに、さもありなんと存在しながら、実は人々の活動に弊害をもたらす産物であったいうことが、今日証明されているように考えられる。真の情報化社会とは、効率性や成果主義を助長させるものではなく、人間本来の社会的動物であるというところから、人としての魂を込めた想いを同時に乗せないと、人を幸せにする本来の「情報化社会」というのは築くことは難しいのではないかと考える。

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